福岡市南区塩原のごうだ神経内科医院、脳神経内科、神経内科、ふるえ、しびれ

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自由市場としての医療

南区医師会報に15年前に投稿した記事です。

「自由市場としての医療」南区医師会報 第307号(2005年5-6月)Vol.30 No.3 pp5-8      

医療を単なるサービスの売り買いとしての商業活動として考えると、従来からいくつかの特殊性を指摘されてきました。普通の商品を購入する場合、それがいかに似合わない服であっても、本人が納得して買ったものである限り、本人の責任ということになります。その似合わない服を売りつけた人物は、あとでその客から恨まれるかもしれせんが、不当な商行為をしたというわけではありません。一方、手術を受けるべきかどうかは、患者さん自身で決めることはできません。程度の差はあっても、医者の意見が反映された決断になるはずで、その分その決定の責任は医者がかなり担うことになります。手術の結果が思わしいものではなかった場合、いくら同意書があったからといって、本人が決めたことだからすべて本人の責任だ、といいきることはできないのです。

医療サービスの提供は、消費者すなわち患者さんの希望通りには、必ずしもならず、医学的必要性に応じて、売り手すなわち医者の専門的判断によって決定されます。本人が買いたいという服は売らずに、別の服、それも本人が嫌がる服を売りつけてしまうということが、医療という業界では可能なのです。「似合う、似合わない」を、他人が決めて、それに従わないといけないというのは、自由な市場における消費者の行動のあり方ではありません。

商品を選択する際には、売り手を必ずしも信用せずに、独立して判断できることになっている消費者ですが、こと医療に関しては医者を信頼するしかありません。患者はそもそも病気に関する技術的なことは判らない上に、病気のせいで、おろおろしていて、何か商品を選ぶときのように、落ち着いて自分で選択することができません。どのサービスを受けるべきなのか、医者の判断を尊重せざるを得ないのです。消費者が自由な市場で自由に商品を選択することができることによって、より安価でより品質のよい商品が得られるはずであるという立場からは、医療はとても、「自由な市場」などとはいえたものではないのです。

医者と患者とのあいだの比較的小額の金銭の授受があっただけで、ハイテク検査や高価な薬とかがまだなかった時代、お金のないひとはそもそも医者にかかれなかった時代には、医療は、どう見ても「市場」ではなかったはずです。しかし、健康保険制度が導入され、それまでの医療の世界にはなかった種類の莫大な資金が流入し、次々新しい医療技術が開発され、多くの国民が医療の成果を享受するようになると、医療はあたかも「市場」のように振舞うようになりました。製薬会社が莫大な資金を投入して新薬を開発し、もしヒットすれば、さらに莫大な利益を手にすることができる、という図は、市場そのものです。各医療機関が患者獲得競争に走り、収益をあげるために渾身の力をふりしぼるという様子も自由市場における競争のようにみえます。最新の医療機器を備えた病院を建設し、投入した資金を回収するために過剰な診療を行う、という行動様式は、医療としてはやや難かもしれませんが、自由市場における競争と考えれば、まったく理にかなった行動ということになります。

アメリカでは、医療も自由市場に属すべきであると認定された結果、たとえば診察料も医者によって違うのが当然と考えられてきているようですが、ヨーロッパや日本では医療は自由な市場ではないということが前提になってきました。60年代から80年代にかけて、健康保険から医療への資金の流入は無限に続くように思われました。医療にとっての黄金時代だったのかもしれません。ところが、90年代に入ってすこし様子が変わってきました。健康保険制度だけでは医療費がまかなえなくなってきたのです。新しい検査、新しい薬、新しい手術が開発され、それぞれにより多くの経費がかかり、そういった医療サービスをより多くの患者さんが利用するようになると、医療費の総額は莫大なものにならざるを得ません。政府は医療費の抑制のために、なりふりを構わなくなってきました。

アメリカでは「マネージドケア」が出現しました。患者はプライマリの一般医をリストのなかから選び、まずそこを受診しますが、この一般医が承認しないと専門医を受診できないとか、入院にあたっては保険会社の承認が必要だったり、やっと入院しても今度は専門のナースに退院をせっつかれる、という具合でとても制限の多い制度であったようです。医療行為の必要性の判断が、医者や患者の手から取り上げられ、保険会社が決定権を握ることになったのです。診断と治療のセットに対して一定額のみが医療機関に支払われるという、これまでの出来高払いとは違う支払い方式も、この「マネージドケア」のなかで生まれてきたしくみでした。この制度でたしかに当初は医療費の抑制に成功したのですが、結局その抑制は短期間に終わり、再び医療費は上昇しつつあるそうです。この間、医師の診察料は下がり、より多くの患者をより短時間で診なければならなくなり、医療の質の平均値は明らかに低下し、保険料は上昇し、無保険者は増加しています。「マネージドケア」を運営する保険会社は、投資家の出資を受けて利益を上げるために努力をする、という意味では市場経済そのものだったのですが、消費者たる患者による、医療という商品の品質のチェックは、大変不十分であり、制度としては失敗だったといわざるを得ないようです。医療を自由市場と考えて、そのなかで医療費を抑制しようとすると、医者にとっても、患者にとっても、大変不幸な事態が生じうることが証明されたように見えますが、患者による医療の品質のチェックが不十分で、消費者側の自由度が不十分であったためにうまくいかなかったということも可能です。

アメリカを10年、20年遅れくらいで後追いしている日本でも、マネージドケアまがいの制度が始まりそうです。アメリカと違って、日本では医療費の単価を政府が厳格に規制していますので、医療費の総額を減らそうとするとき、まずできるのは単価を制限することです。個々の診療行為の価格設定にそもそも大した根拠はないので、値段を減らすことは政治的な抵抗を除いて、あまり難しくないともいえます。診療行為そのもののコストではなく、その技術の古さが価格設定の基準になっていますので、古ければ古いほど安くなります。診察というのはもっとも古いテクノロジーですから、限りなく安くなるのは当然です。その分,診察の質は低下します。3時間待って1分診療の大病院の外来診療はまさしくこの状態にあたります。そのうち「混合診療」の自費分で診察料を余分に払わないと満足な診察は受けられないという時代が来るに違いありません。

こうやって単価を下げるだけでは医療費が抑制できないとなれば、次に考えるのはアクセスの制限です。大病院を受診するとき、紹介状がないとすこし余計にお金が要るというのは、このアクセスの制限にあたるのかもしれません。アメリカやヨーロッパでは一般医と専門医の区別が日本よりはっきりしているようで、一般医から専門医への紹介を一種の関門としてアクセスの制限を設ける方法が可能ですが、日本では超専門医だった勤務医が開業したとたん、たくさんの科を標榜する「かかりつけ医」になれますので、こういった関門が日本でもうまく働くのか疑問です。 専門医を受診することとか、入院の適否、入院の期間など医療の内容そのものを政府が直接制限するという方法は、一般の患者さんの怒りが直接政府に向かうでしょうから、政府としては避けたいはずです。そこで政府は、このアクセスの制限を民間に外注してしまいたいのではないでしょうか。民間の医療保険が、政府がカバーしない部分をみてくれるという状況を、政府は期待しているように見えます。価格や質のコントロールに関して、うまく機能していたとは思えない従来の健康保険制度に代わって、民間の医療保険が、自由な市場に属する医療の一部を担えば、電電公社や国鉄と同じように、医療という市場全体が活性化され、少なくとも一部の国民は満足が得られ、政府の負担も減るというわけです。マネージドケアばりの民間医療保険が日本でも生まれるのでしょうか。

ここで問題なのは、民間の医療保険が参入する、というところだけがいわば自由市場的で、医療費の総額を抑制するという目的ものものはあくまで官僚的である点です。本当に自由な市場を医療の世界で実現しようとするならば、消費者たる患者さんの側に十分な自由度が確保されなければなりません。患者たるもの、治療の選択肢について熟知し、医者の経歴、能力、施設の充実度などすべて知ったうえでなければ、「自由に」選択したとはいえないからです。消費者としての患者さんは、民間医療保険が提供する医療サービスの質を本当に自分できちんとチェックできるのでしょうか。

そこで最初の議論にもどります。医療の市場としての特殊性は、売り手が、買い手の利益のために商品を選ばないといけないことにあります。民間医療保険は自分が損をしても患者さんの利益になるような選択をしてくれるでしょうか。さらに言えば、我々開業医は、自分の利益よりも患者さんの利益を常に優先しているのでしょうか。自信を持って、患者さんの利益を優先しているということができない限り、医療の自由市場化に真っ向から反対することもできないのではないような気がします。医療が完全に自由市場になって、患者や保険会社は、医者のいうことを原則信頼せずに、独立して、自由に医療サービスを選択できるようになったら、医者はなにも患者さんの利益のために医療サービスを選択してあげなくてもよくなるのかもしれません。

医療はすでに自由市場だと思っているひともいます。「規制緩和」は誰にも否定できないお題目のようになってしまいました。医療がさらに市場化するのを止めることはできそうもありません。患者さんの目はより厳しくなり、政府や健康保険制度、さらには民間医療保険による医師に対する干渉は増えることはあっても、減ることはなさそうです。医者の診察を受けることとコンビニで買い物をすることとに本質的な違いはないと感じている消費者は多いようです。医者がもっと誇りを持って医療のあり方を論ずるべきなのでしょうが、単に既得権益を守ろうとしているようにしか世間では受け取られません。自由だけれど殺伐とした関係が医者と患者との関わりの主たる部分になっていくのでしょうか。

新米開業医としてできることは、自費でも受診したくなるような診療内容を築くことでしょうか。それとも医療本体を見限って、医療周辺の、例えば介護ビジネスにでもうってでることでしょうか。5年後、10年後も、自分が医者を続けていられるのか自信がなくなってきました。