福岡市南区塩原のごうだ神経内科医院、脳神経内科、神経内科、ふるえ、しびれ

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沖縄、僕の自慢の(?)研修医時代

3組 合田 周一郎
今から約20年前、開業したばかりの頃、南区医師会報に投稿した原稿です。

沖縄に着いたのは、3月の最後の日(福岡ではまだ決して暑くはなかったころ)、ほとんど海外に出かけるような覚悟で両親にさよならを言って、数時間後のことでした。飛行機からタラップにでると、日差しは強くはないのですが、雨上がりの蒸し暑い空気がいきなり押し寄せてきて、海外に出かけるという印象があながち間違ってはいなかったことを実感させてくれました。タラップを降りて、ぬれた滑走路をとぼとぼ歩き始めて、2年間の長く、苦しい沖縄生活が始まることのになったのでした。わずかの衣類(実際2年間の沖縄生活ではほとんど白衣と術着で済んでしまい、下着以外にはほとんど衣類は必要ありませんでした)と精神安定剤のつもりで詰め込んだ各科の教科書やマニュアル類の入ったスーツケースをひとつ引きずりながら、バスを乗り継いで、その日の夕方中部病院にたどりつきました。

研修医の宿舎は院内の食堂の裏にあり、部屋によっては窓もないところもあるのですが、僕の場合、窓はちゃんとある(目の前はコンクリートの壁ですが)、二人部屋でした。部屋に帰っても昏々と眠るだけですが、携帯はもちろんポケベルさえまだないころで、ルームメイトが当直の時は自分が当直でなくても何度も電話でおこされて、まいったものです。術着のうえに白衣をはおって、ポケットには手帳やらマニュアルをぎっしり詰めて、聴診器を首に巻いたまま、仰向きになって(この状態だとなかなか寝返りがうてません)、眠っていると、病棟から電話が入り、誰とかさんが息をしていませんとかいわれて、とびおきてつっかけをひっかけ、部屋をとびだし、階段を駆け上がると、すぐ病棟、という極端な職住接近の生活でした。この職住接近のメリットは当直の日でも自分の部屋で眠れることですが、当直でなくても病院から出ることができないことが難点でした。沖縄の夏は暑いはずですが、エアコン効きすぎの病院からでることができずによく風邪をひきました。銀行に行こうとして久しぶりに外に出たら、あまりのまぶしさにめまいがして目の前が真っ白になったものです。

オリエンテーションは一応あったものの、どうせ記憶に残るはずもなく、いきなり産婦人科のローテーションがはじまりました。当然何もできるわけがありません。スタッフやレジデントと一緒に当直が組まれていて、一日中レジデントの先生の後について回る生活が続きました。お産のときは助産婦さんの指導宜しく、というか言いなりになりながらあたかも医者のように振る舞うことが少しずつできるようになっていきました。生まれて初めての縫合は正中切開のあとの縫合で、何回見せてもらってもよくわからず、そのうち涙まで出てきて、教えてくれているスタッフの先生が困惑してしまって、雑巾か何かで何度も繰り返し教えてくれたものでした。そのうち慣れてきて、一晩に何人も分娩があって分娩台を2台同時に使っているときなどは、助産婦さんと二人でほとんどことを進めたりすることができるようになりました。お産というクライマックスのあとのけだるい虚脱感のなかで、ひとりで、というかお産をすませたばかりのお母さんは虚脱状態でそこにいるのですが、感覚的には、ひとりきりで、ほとんど音のしない部屋で、血のにおいを感じながら、会陰切開のあとの縫合を繰り返すのは、明け方の、少し混濁しかかった意識レベルのもとでは、何か非常に非現実的でした。

これがいわば通過儀礼であったのかもしれません。あの正中切開の縫合の日々からちょうど20年がたち、この僕も立派なお医者さんになったんだとは、やっぱりしらふではいえませんが、いろいろあった20年のなかでも最初の2年間に経験したことが今の自分を良きにつけ悪しきにつけ形づくっていることを最近よく感じます。大学での研究生活などどうせ僕にはできたはずがないことは、あのころの生活のことを考えれば当たり前のようにも感じます。もっともあの研修医生活を何年か送ったあと、基礎の研究生活に入り、いまでは立派な研究者という人も何人もいるのですから、これだけで僕の大学不適合の理由にするのは中部病院に対して失礼なのかもしれません。

なかなか理屈通りにはならないけれど、それなりにドラマチックで興味深いというのが、医者の仕事の理想のはずで、理屈通りにならないことには慣れていたはずですが、保険診療の不条理の世界にはなかなか慣れません。日本語をまったく理解しない中国人に日本語で話しかけるようなもので、査定されたときに再審査を請求しようなどという気にはまったくなれません。保険診療のルールがばかばかしく感じられず、かえって興味深く感じられるようになったら、僕も立派な開業医になれたということでしょうか?ぐちっぽくなってしまいました。
今から20年後には、開業したてのころがきっと懐かしく思い出されるはず、と信じる毎日です。