福岡市中央区輝国のごうだ神経内科医院。神経内科/脳神経内科/リハビリテーション科/内科

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きかんしゃやえもん

(7年前に「南区医師会報」に投稿した文章です。当時はまさかその実家で医院を続けることになるとは想像もしませんでした。)

ことし八十二歳になる母親が、自宅に溜まりにたまった数々のもの、バッグとか靴、衣類、なべにやかん、コップ各種など挙げるときりがありませんが、とにかくありとあらゆるもの、の処分を少しずつ始めています。うちの両親はほとんど物を捨てないひとたちで、いったん買ったものは、使わなくても必ずどこかに保存されています。特に本は雑誌類を含めて、決して捨てられることはありませんし、古本屋に売られることもありませんでした。父が京都にいたころの本はもちろん、私や妹が引っ越しのたびに実家に送り続けたいろいろの本、例えば私の学生のころの医学書(!)も、「書庫」と家族が呼ぶ倉庫スペースに保存され続けてきました。父が亡くなった7年前から、この膨大な量の本をどうにかしなくてはいけないと思い続けていたのですが、今回やっと機会があって、処分することになりました。

加賀乙彦という作家が、自分の別荘を紹介する番組に出ていました。学生のころ何冊か本を買ったはずと思いながら、そういえば「フランドルの冬」は今でも買えるのだろうかとアマゾンで検索してみると、どうも絶版らしく、古本しか手に入らないようでした。その「フランドルの冬」が書庫にあるのを発見しました。埃にまみれ、とてもかび臭く、紙も黄色く変色しているのですが、高校のころに買ったとおぼしき文庫本が書棚からでてきたときは、正直うれしく、これは捨てられないと自分のうちに持って帰ってきました。ダイソンで埃をなんとか吸いきって、今は私の机の上にあります。数十ページ読み進んでいます。全部読んでしまいそうです。

小学生のころ、熱をだして学校を休んでいたら、父が「二年間の休暇」(ジュール・ベルヌ作 朝倉剛訳 福音館書店 880円)を買ってきてくれました。ハードカバーで実際高価な本でしたが、それまでに読んでいたかもしれない縮刷版の「十五少年漂流記」よりもずっとおもしろく、布団で横になったままですが、熱のことなど忘れて、二日でほとんど読み切ってしまいました。この「二年間の休暇」も書庫にあったのです。箱入りなので保存状態は良好で、紙も変色していません。息子に読ませたいと思っていた時期もありましたが、もう冒険ものに関心を示す時期はとっくに卒業です。まだいない孫に読ませることができるでしょうか。この本も自宅の本棚用に持ち帰りました。同級生に「ジャケ買い」したのかと訊かれたツルゲーネフの「貴族の巣」は、当時すでに公開されていたロシア映画のスチル写真が表紙に使われていました。ストーリーはあまり覚えていませんが、この美少女の写真ははっきり記憶しています。この文庫本も回収です。この映画をみる機会はありませんでしたが、DVDが今でも買えるようです。五千円近くするので買えるかどうかわかりませんが。「きかんしゃやえもん」(文・阿川弘之 絵・岡部冬彦 岩波書店 昭和34年12月5日 第1刷発行 130円)は私の3歳の誕生日に初版が発行されているようです。ぼろぼろになったこの絵本は母がずっとどこかに隠し持っていたようです。これも今回正式に私が譲り受けることになりました。これは今度リフォームした我が家の本棚に飾っています。

こうやって自分の本をいくらか持ち帰りましたが、大半の本は、自分が買ったものであることを記憶していても、持ち帰る気になれませんでした。二十年、三十年前には流行していたことが、その後は全く顧みられなくなり、今となっては恥ずかしい思い出にすぎないのです。

最近キンドルを購入しました。本の単価がそう安くないことには失望しますが、ほしいとおもったらその場で手に入る簡便さに負けて、電子本を購入する機会が増えました。何冊もの本を持ち運べますので、移動中の読書には便利です。「火星の人」はおすすめです。一応信じることのできる科学的説明がついた「ハードSF」に分類されますが、非常に深刻な状況でもあくまでも軽い、主人公のキャラに感動します。今度映画が公開されるそうで、期待しています。On the Move: A Life は最近亡くなったオリバーサックスの自伝です。これも電子本で読んでいるところですが、ゲイだったことや本当に深刻な覚醒剤中毒だったことなども淡々と語られ、ボディビルに励んで、バイクを乗り回していたという話は、その後のイメージとはかけ離れすぎで、驚きでした。「レナードの朝」の元本になるAwakeningsの出版にいたるまでの経緯についても詳しく語られ、神経内科をやっているものとしては、興味は尽きません。オリバーサックスの文庫本も書庫からたくさん出てきました。

電子本は、しかし20年後に読み返すことはまずなさそうです。20年もたったら、たぶんハードが壊れてしまって再生不能でしょうし、なんとか記憶媒体を取り出すことができても、そのころは記憶媒体が様変わりしてしまって、そもそも読み出すことができないはずだからです。その点、紙という記憶媒体は読み出すのにテクノロジーは不要ですので、何百年も保存することが可能です。

書庫の膨大な本の山は 古本屋さんがまとめてもっていってくれることになりました。どこかで誰かが、何らかの形で利用してもらえれば、と思っています。古本は、古書的価値がないものでも、単なる古い本以上の意味があることも、時にはあると思います。年取った機関車「やえもん」が、年寄りなりの居場所を見つけるお話は、古本にも当てはまりそうです。古本が焼却されずに、古本なりの場所を見つけることができるかどうかは、どうやってきまるのでしょうか。今年還暦を迎える私たちにも、それなりの居場所があるのでしょうか。